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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第3節 女同士 [1]




 二年の時から、いや、一年の時、入学した時からそのような言葉や扱いなど日常茶飯事だった。最初こそ戸惑ったがすぐに慣れた。当時の美鶴(みつる)は周囲というものをまったく信用していなかった。だから唐渓生の態度を、やっぱり周りの人間なんてこんなモンなんだ、くらいにしか思っていなかった。今では気にも留めてはいない。だから、その日の教室の雰囲気には、最初は気付かなかった。
 皆が、自分を盗み見している。チラチラと視線を投げながらコソコソと囁く。
 いつもの事。
 だからいつも通り、窓際の席についた。そうして鞄を開けようとした手を止めるように、一人が声を掛けてきた。
「おはようございます、美鶴さん」
 背筋に電流が走ったかと思った。
 このクラスで、美鶴をさん付けで呼んでくる者などいない。そもそも美鶴を名前で呼ぶ者などいない。三年にあがり、理系の(さとし)やツバサはもちろんの事、瑠駆真(るくま)(つた)康煕(こうき)も別のクラスになった。
「ごきげんよろしくて?」
 ネチっこさを含めた声に、美鶴は無視を決め込んだ。
 相手をするとかえって喜ぶだけだ。どうせいつものくだらない絡みだ。
 声に顔もあげない美鶴に、相手は小さく首を竦めて瞳を細める。
「あらあら、朝から相変わらず無愛想ね。それとも、私が女だからかしら? 男好きの美鶴さんは、男しかお相手にはならさないのかしらね?」
 周囲から漏れる嘲笑。美鶴は視線でチラリとだけそちらを見た。女子生徒だ。その瞳には好意の欠片も無い。
 無言のまま視線を戻そうとする美鶴に、相手は腰をくねらせた。
「そうですわよねぇ。金本(かなもと)くんや山脇(やまわき)くんだけに留まらず、霞流(かすばた)家の御曹司になんて手を出すくらいですものねぇ」
 今度は背中に、氷を押し付けられたかのような悪寒を感じた。





 霞流慎二(しんじ)への恋心は絶対極秘だ。知れれば騒ぎ立てられるのは火を見るよりも明らか。嫌われ者の美鶴の恋など、周囲には願ってもいない侮蔑のネタ。だから美鶴は、知られる事を極度に恐れていた。
 聡や瑠駆真にも、ずっと伝える事ができないでいた。ハッキリと告げた事を、後悔はしていない。だが、何かの拍子に彼らがうっかり口を滑らしたりはしないだろうかといった不安を持っていなかったワケではない。特に最近は。

「あんな男はやめろ」

 その、あまりにも予想通りの言葉に、美鶴は内心で笑ってしまった。
「霞流さんの事をそんなふうに言うのはやめろ」
「どうしてだ? 毎日毎日、夜遊び三昧の男だぞ」
「だから?」
「だから? お前、わかってんのか?」
 そんな会話をしたのは、埠頭からの帰り。涼木(すずき)魁流(かいる)と霞流との対峙を、何もできずにただ見守る事しかできなかった。
「霞流さん、カッコ良かったですよ」
 そんな美鶴の言葉に苦渋の表情を浮かべる霞流が、美鶴にはおもしろかった。
 やっぱり霞流さん、無関心な人じゃない。
 涼木魁流を前に熱っぽく語る霞流の姿が、美鶴に勇気を与えた。
 霞流さんを元に戻す事はできる。きっとできる。だって霞流さんは、昔のままの心をまだ持っているはずだもん。
 それが自分の恋にどのような影響を与えるのかなどわからなかったが、なんとなく期待のような希望のような、明るい感情を抱えながら岐路についた。そんな美鶴を、瑠駆真と聡が家まで送り届けた。
「あんな男はやめるんだ。あんな、女性に対して屈折した感情を抱いているような人間なんて」
 瑠駆真は、怒りのような感情を必死に抑えながら口を開く。あまりにも感情を押さえ込みすぎて、声が掠れていた。
「私が誰を好きになろうと、私の勝手だ」
「勝手じゃない」
 前を歩く美鶴の肩を鷲掴み、強引に振り向かせる。
「お前、わかってんのか?」
 悔しさのような、憤りのような、いろいろな感情を滲ませた聡の顔は、闇夜に紛れてはっきりとは見えなかった。閑静な住宅街で等間隔に外灯も設置されているが、それでもやはり夜だ。昼間ほどの灯りは無い。
「あんな、男。しかも、アイツに会う為にお前まで夜遊びだなんて」
「夜遊びなんてしていない」
「してるようなもんだっ」
 近所迷惑も考えずに大声をあげる。近所への迷惑など、考える余裕も無いのだろう。
「よりにもよって繁華街に、アイツに会う為に毎日」
 その先は言葉にもならない。
 考えたくない。信じたくない。美鶴が、美鶴が他の男に会う為に歓楽街を徘徊していたなどとは。
「やめろ、今すぐにやめろんだ。あんな男とは縁を切れ」
「お前に命令される筋合いは無い」
「やめるんだっ」
「大声出さないで」
「出させているのはお前だろうっ」
 声を荒げる聡の肩に手を添える瑠駆真。だが、口で咎めるような事はしない。
 言い争う美鶴と聡。いつもなら、そんな二人の姿に嫉妬し、嫌味の一つも言わずにはおれない瑠駆真。だが今は違う。興奮する聡を制するような事はしても、咎めるような事はしない。
「美鶴、冷静になるんだ」
 まるで獣のような瞳だと、美鶴は思った。豹とか鷹とか、本かテレビでしか見たことのない、黄色に黒い瞳を浮かべた、獲物を狙う時の、揺るぎや迷いのまったく存在しない、ただ一つだけを見据えた瞳。
 美鶴を捕らえようとしているのではない。美鶴に、取り憑こうとしているのだ。取り憑き、その内部に入り込み、その芯の部分を見つけようとしている。
「冷静になるんだ。目を覚ませ」
「私は冷静だ。寝てもいない」







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